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特集

「稲作の島」海士町で出会う、五感でひもとく大地の物語

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    • 海士町

目次

  1. 「稲作の島」海士町で出会う、五感でひもとく大地の物語
  2. My Favorite / 金光寺山

「稲作の島」海士町で出会う、五感でひもとく大地の物語

「じゃあ、この枝を折って、鼻の近くにもってきてみてください」

そう言って差し出されたのは、海士町の森に自生するクロモジの小枝。ここでは昔から福木(ふくぎ)と呼ばれ、健康茶として親しまれてきた植物だ。手でポキっと折ると、細い枝の中から、ふわりと香りがほどけていく。森の湿り気をまとったハーブのような香り。どこか柑橘を思わせる上品な匂いが、鼻腔の奥へすっと入り込む。

 

パンフレットの文字だけでは伝わらない匂い、手触り、味。そんな“五感でしか受け取れない瞬間”を何よりも大切にしているガイド、NPO法人隠岐しぜんむらの若柳さんだ。

取材中の彼女は、とにかくよく立ち止まり、迷いなく森の中へ分け入っていく。「見てください、あそこ」と指差す先には、高い木に絡みついた太いツルと、そこにぶら下がる赤紫色の実。

「あれは『ムベ』という植物の実です。島では『フユビ』って呼ばれていて、昔から冬のおやつみたいな存在だったんですよ。本土で見かけるアケビとは違って、ムベは熟しても皮が割れません。だからこうして冬まで残っていて、鳥たちや私たちのごちそうになるんです」

割ってみると、中にはとろりとした果肉。一口含めば、素朴で優しい甘さが口いっぱいに広がる。

「知識を詰め込むのではなく、まずは『へぇ!』とか『美味しい!』『楽しい!』という感動を持ち帰ってほしいんです」

こんなふうに体験を通して森と関わっていると、景色の見え方が少しずつ変わってくる。ただの一面の緑だったものが、名前を持った木や実、草の集まりに変わり、一つひとつの存在がくっきりと目に入ってくる。

取材当日は、車に乗って海士町内を巡るガイドをお願いした。「今日は、あるテーマを用意してきました」 とハンドルを握る若柳さんが、いたずらっぽく切り出す。

彼女のガイドには、ゲストの興味やその日の天候に合わせて引き出せる、様々なテーマがある。石が好きな人には地質の話から、歴史好きには神話の話から。短い会話の中から、相手の好奇心の入口をさっと見つけてしまう。

彼女がこの日、私たちのために選んでくれたテーマは、「なぜ島前で、海士町だけ稲作が盛んなのか?」だった。

車は海士町の内陸部へと入っていく。季節になれば黄金色の稲穂が一面に揺れる田園地帯だ。言われてみれば、隣の西ノ島や知夫里島は荒々しい断崖と放牧地のイメージが強く、田んぼの景色はあまり浮かんでこない。同じカルデラ地形の中にある島々なのに、どうしてこれほど風景が違うのだろう。

「答えは、280万年前の火山活動にあるんです。海士方平野とよばれるこの場所は、約630〜530万年前に活動した大きな火山によって島前カルデラが生まれた当初、深い入り江だったと考えられています。その後、約280万年前に明屋海岸で再び火山活動が起こり、粘り気の少ない溶岩が海へ流れ出して冷え固まり、平らな台地をつくりました。さらに、その奥に残った窪地には水がたまり、やがて広大な湿地が生まれたんです」

「でも、最初から田んぼがあったわけではありません。この湿地を、人の手で少しずつ埋め立てて、気の遠くなるような時間をかけて耕してきたんです。その積み重ねの先に、いま目の前に広がっている田んぼの風景があるんですよ」

ここから見える田園風景が好きだと語る若柳さんがぽつりと付け加える。

「太古の地球が決めたそれぞれの島の特徴みたいなものに、人の営みや歴史が折り重なって、島ごとにまったく違う文化が育ってきたんだと思うんです。」

海士町は、溶岩が埋め立てた平らな地形と豊富な湧き水が生んだ、黄金色の稲穂が揺れる稲作の島。隣の知夫里島は、豊かな水に恵まれ、牛たちがのんびりと草を食む放牧の島。そして西ノ島は、険しい断崖が天然の良港となり、荒波と共に生きる漁業の島。 火山活動による“ほんの少しの違い”が、景色を変え、仕事を変え、暮らしのかたちを変えていく。その連鎖の先端に、いま現在の私たちが立っている。

横浜出身の若柳さんが海士町へ移住したのは2019年のこと。高校の社会科教師を経て、保育士をしていたという。しかし、わが子を大自然の中で育てたい、野外保育を学びたいという一心で、家族と共にこの島へ渡った。最初は隠岐しぜんむらの勤務する保育士として、森の中で子どもたちの成長を見守っていた彼女。毎日泥んこになって遊ぶ子どもたちの姿を前にするうちに、彼女の中に大きな心境の変化が生まれていった。

「子どもたちは、森の中で当たり前みたいな顔をして、草をちぎり、どんぐりを拾い、虫を追いかけて遊ぶんですよね。本当は、大人である私が『何が食べられて、何が危ないのか』を一番よく知っていなきゃいけないはずなのに、都会育ちの私は、草の名前もどんぐりの種類もほとんど知らなかったんです。そこで初めて、『もっと身の回りの自然のことを知りたい』『子どもたちが安全に、いろんなことに挑戦できるように自然に詳しくなりたい』と強く思うようになりました。そこから、この島に来てから一つひとつ学び直そうと思って、食べられるものと危ないもの、季節ごとの恵みなんかを必死で勉強し始めました。それが、もっと深くこの島の自然を知りたいと思うようになった最初のきっかけです。」

その想いから、ガイドや野生生物調査をメインに行う「ネイチャーチーム」へと籍を移し、ガイドとしての道を歩み始める。教師と保育士の経験からか、彼女の語り口はとても柔らかく、そして温かい。まるで母親が子供に絵本を読み聞かせるように、難解なジオパークの話を、私たちの心にスッと届く言葉で紡いでくれる。

そんな若柳さんが、ガイドの現場で何よりも大切にしているのが、“興味の入り口は人それぞれ”という視点だ。隠岐を訪れる旅人の目的は様々。絶景を写真に収めたい人。歴史の痕跡をたどりたい人。あるいは、ただただ日常を忘れて癒やされたい人。

だからこそ若柳さんは、まずその人が何に興味があり、どんなガイドを希望しているのかを把握してからルートを組み立てる。地質から入る人もいれば、植物から入る人もいるし、島の暮らしの話から入る人もいる。それでいいし、それがいい。

どの入口から入っても、背後でつながっているものは同じだ。太古の火山活動が刻んだ大地の成り立ち、その上で育まれた世界的にも珍しい独自の生態系、そして離島という環境だからこそ育まれてきた人の営み。隠岐ユネスコ世界ジオパークは、この3つが折り重なった場所だからこそ、少しずつ重なり合い、島の全体像が見えてくる。入り口は違えど、出口は一緒なのだ。

その“入り口の違い”を強く意識した出来事があるという。ある日、フランスから来た旅行者を、隠岐随一の絶景スポットである摩天崖へ案内したときのこと。高さ257メートルの断崖絶壁、草を食む牛馬、どこまでも続く水平線。誰もがカメラを構えたくなる光景の中で、その人がぽつりと言った。

「ここは、騒音がしないね。素晴らしい」

車の走行音も、生活音も、電子音もしない。耳に届くのは、風が草を揺らす音と、遠く下で砕ける波の音だけ。そんな音をゆっくり味わうように、旅行者は黙って立ち尽くしていたという。静けさそのものを味わうその背中を見て、若柳さんは、自分が用意していた絶景という入口とはまったく別の扉が、その人の中で開いていることに気づかされた。

誰かは眺めの壮大さに高揚し、誰かは静けさそのものに癒やされる。別の誰かは、地層の話に夢中になる。だから若柳さんは、その日の表情やひと言に耳を澄ませて、その人にいちばん合う入り口を探し続ける。

匂い、手触り、味。あとになってよみがえるのは、きっと写真に写った景色そのものよりも、

五感で感じた体験と、それをそっと導いてくれたガイドの声だと思う。写真には写らない時間を味わいに、ガイドとともに海士町を歩いてほしい。

My Favorite / 金光寺山

島の中で一番好きな場所はどこ?って聞かれたら、やっぱり職場のある金光寺山ですね。標高164メートルで全然高い山じゃないんですけど、山頂には平安時代の小野篁が滞在したと言われるお寺があって、展望台からは西ノ島や島後の島影まで、ゆったり眺められるんです。

昔は湯治場があって、多くの人が癒やしを求めてここに集まってきたそうです。少し立ち寄って元気になって帰る場所。昔から、そんな役割を持った山だったんだと思います。

お寺があったおかげで大きな開発を免れて、今も濃い森がそのまま残っています。春には野草が芽吹き、秋には木の実が実る。季節ごとに鳥が集まり、虫が動き出し、行くたびに表情が変わるんです。多様性があって、変化があって、生きもの同士のつながりがその場でちゃんと感じられる。本当に豊かな場所だなといつも思います。

その場所に自分の職場があるんですが、本当に恵まれているなといつも思います。毎日、森というご神域の中で働かせてもらっているような感覚で、私にとって金光寺山は、自分の心をそっと整えてくれる大事な場所ですね。