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特集

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ライターの心震えた隠岐の風景。巨石・巨木信仰の跡をたどる

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    • 隠岐の島町

隠岐の風景の中には宗教のルーツを感じさせるような場所がある。日本固有の神道のルーツとされる自然信仰(山岳信仰や巨木信仰)の形を現在に伝えるような祭りや神社が残る隠岐の島の魅力を紹介する。

取材・天満さな(てんまさな)
2020年11月隠岐の島に広島より移住。静かな海辺に古民家を買い、娘と猫との生活を始めるシングルマザー。いつかは、改装して古民家カフェを開きたい夢がある。家がボロボロ過ぎて、どこから手をつけていいか分からない状態。(2021年11月現在)coffee・自然・歴史好き。隠岐の島に来て、心が震えるような感動、浄化されるような感覚を味わうことができた。癒しを求めている人たちに隠岐の神秘を伝えたい。

1.布施(ふせ)の大山(おおやま)神社 杉の巨木

1.布施(ふせ)の大山(おおやま)神社 杉の巨木

大山神社 御神木(樹齢800年、樹高45m、幹周7.1m)

隠岐の島町・布施(ふせ)の集落から大満寺(だいまんじ)山を目指して、山の中の細い車道を進んでいると…右手に小さな鳥居が目に入る。
「何だろう。」
私は、不思議に思って車を鳥居近くの待避所に停めた。その鳥居をくぐった先には、天高く伸びた杉の大木が、圧倒的な存在感を放っていた。その大木が、上の写真にある、布施の大山神社の御神木である。その当時、隠岐の島のことをほとんど知らなかった私と御神木との偶然の初対面であった。

大山神社には、神殿が無く、鳥居をくぐると御神体である樹齢800年と言われる杉の巨木がそびえたつ。巨木の足元には、人の手で巻かれたカズラが。華やかさよりも、巨木そのものあるいは、山そのものへの敬意が感じられる。このカズラは、下に記す祭りで二年に一度締め直されるそうだ。

布施の大山神社 山祭り

大山神社で開催される「布施の山祭り」は、現在では西暦偶数年の4月第一日曜日に行われる。祭りの前日は、サルナシのカズラを山から伐(き)り出す「帯裁ち」が行われ、当日はそのカズラを大山神社の御神木に7回り半、ゆすりながら巻きつける。この祭りは、日本最古の山祭りのひとつに数えられるという。布施の山祭りが文献に初めて見られるのは、江戸・寛文10(1667)年。

また、布施の村は、約300年前、江戸・享保(1716〜36)の時代、貧しかった村を救おうと植林を始め、林業で豊かになった経緯がある。生活を支える山の恵みへの感謝の深さはどれほどのものだったろうか。

一説によると、この祭りのルーツは縄文時代に遡(さかのぼ)るとも言われている。それが事実ならば、縄文時代は、やはり山そのものを崇拝したのだろうか。

今なお成長を続ける御神体は、布施地区の人々にとって、他の神社とは違う特別な地位を保ち続けている信仰の対象であることは間違いない。

≫布施の大山神社 [隠岐の島町]新しいタブで開きます

2.岩倉(いわくら)神社の乳房杉(ちちすぎ)

2.岩倉(いわくら)神社の乳房杉(ちちすぎ)

岩倉神社の乳房杉(樹齢800年、樹高約38m、幹周11m)

大山神社をさらに奥へ奥へと進んで行くと、島の最高峰・大満寺山(だいまんじさん)の裾野辺りにたどり着く。そこにひっそりとたたずむ、神秘的な形の岩倉神社の乳房杉。日本海の強風に耐えて生き残る為に、独特な枝ぶりに進化したとされる。地上数メートルのところから上に向かって15本に分かれる幹を広げ、大小24個の鍾乳状の下垂根(下に垂れ下がった根のようなもの)を枝に下げている。近隣一帯の山を守る御神木とされているのだ。

岩倉神社も大山神社同様、神殿や境内をもたず、巨木そのもの、ひいては巨木を含む山そのものを崇拝していることの象徴であると考えられる。霧がたちこめた中での、乳房杉はまるで女神のよう。しばらくその場いると体が浄化されるのを感じる。乳房杉の周りには、根を守るために柵がもうけられ、柵越しに見る為、少し引き気味のショットである。離れた場所から、全貌(ぜんぼう)を眺めて、山の母たる乳房杉のオーラを感じて欲しい。

※乳房杉 位置情報
≫隠岐の島町 |スポット|隠岐の島旅

こちら、二つの場所へ行く道は、2021年夏 の台風による土砂崩れで、通行止めになっている為、訪れる直前に下記よりアクセスし、道路交通情報を確認されることをおすすめする。
≫道路の通行止情報 – 隠岐の島町新しいタブで開きます

3.御神木かぶら杉

3.御神木かぶら杉

中村のかぶら杉(樹齢600年 樹高38m 幹周約9.3m)

316号線に沿いを中村方面から原田・西郷方面に向かい左手に見える県の天然記念物樹齢600年以上の巨木。
「こんな道路の脇に、何で?」
と、感じずにはいられない。先に記した乳房杉・最後に紹介する八百杉(やおすぎ)と並ぶ隠岐の島の三大御神木と言われている。この三大杉の中で、唯一幹に触れ肌で感じることができる貴重であり、且つ神聖な場所である。

案内板によると、かぶら杉の名前の由来は、「その樹形が鏑矢(かぶらや)の先に似ているから」、「大きな株(かぶ)が目立つから」など、諸説ある。とあるが、また、別の説では、ヘブライ語で「伝承」という意味をもつ「カバラ」が由来しているとも言う。

名前の由来にもなった特徴的な形は、一本の株が複数の幹に分かれたもの。幹は現在では、6本(小さなものを含めると7本)が残っている。本土では見られない独特の形に進化したのも、乳房杉と同様の理由であると言われている。

かぶら杉のそばにある妖怪「せこ」のブロンズ像

隠岐の島町では、このような水木しげる氏により生み出された、愛すべき妖怪たちが島のいたる処にいる。「せこ」とは、山の中に棲む2~3歳の子どもの姿をした、いたずら好きの妖怪。

「せこ」が、もののけ姫の「こだま」に見えはしないだろうか。パワーを放っているかぶら杉の枝に「こだま」がいるのを感じる人もいるのでは?!かぶら杉の傍には、駐車場もある。ぜひ、車から降りてすぐそばのこの神々しさをゆっくり味わって欲しい。

※かぶら杉 位置情報
≫隠岐の島町 |スポット|隠岐の島旅

4.御客(おんぎゃく)神社

原田地区の県道316号線を中村方面から西郷方面に向けて進んでいると右手に小さな鳥居が見える。うっかりしていると、見落としてしまいそうな小ささである。この神社もまた、神殿をもたない。この地の意味を知らずに訪れたなら、寂しいと感じる神社である。

御客(おんぎゃく)神社のかつてあった巨木の跡

このかつての巨木は、この神社の鳥居の役目を果てしていたと言われている。平成9年の台風で、この杉は2本とも損傷し、平成10年に伐採された。伐採の跡に新たな木が植えられている。

御客神社の鳥居の奥に鎮座する巨石

その2本の巨木痕の間を抜けた先に見られるのが、写真に見られる巨石である。縄文時代より岩そのものを崇めたとされる。この巨石には、ケヤキの大木が根をはり、幹は2本に分かれている。巨石信仰が、この神社のルーツであり、隠岐に棲む人々が、はるか昔よりその思いを大切に受け継いできた証が、この神社であると言える。

縄文人がこの岩の前に平伏す姿が想像できた時ー。始め感じた寂しさは、何処へやら。もう、この場所が、歴史的意味があるキラキラした場所に見えるのは、私だけだろうか……。

これら4箇所の巨木・巨石のほど近く中村地区に湊遺跡(みなといせき)という縄文時代の遺跡があり、数多くの黒曜石などが掘り起こされている。縄文人は、黒曜石などを求めて、驚くほどの距離を移動していたと聞く。豊かな水と山と海産物と黒曜石。それらが手に入る、この島をこの地を愛し、感謝していた当時の人々の思いを大切に守りたいものである。

※御客神社情報
≫今も伝える縄文信仰新しいタブで開きます

隠岐ユネスコ世界ジオパーク

5.玉若酢命(たまわかすみこと)神社 御神木 八百杉(やおすぎ)

5.玉若酢命(たまわかすみこと)神社 御神木 八百杉(やおすぎ)

玉若酢命神社 御神木 八百杉(樹齢1000年以上、樹高約30m 幹周約20m)

玉若酢命神社にある御神木八百杉は、一見して老木であることが分かる。その老木を一年でも長く残そうとする島民の思いは、たくさんの添木を見れば一目瞭然である。今まで紹介した神社と違い、立派な神殿をもつ神社。樹齢1000~2000年とも言われる杉の巨木。先に述べた隠岐の島の三大杉の中で最高樹齢の杉。

人魚の肉を食べて八百年生きたという八百比丘尼(やおびくに)が若狭から来て植えた伝説がある。八百比丘尼の伝説から名前をとって、八百杉と呼ばれ親しまれている。このことから当時の隠岐と若狭の交流を伺い知ることができる。1929年12月17日国の天然記念物に指定される。

※八百杉 位置情報
≫隠岐の島町 |スポット|隠岐の島旅

参考資料/
『隠岐の島町ホームページ』新しいタブで開きます
『しまね観光ナビ』新しいタブで開きます
『隠岐ユネスコ世界ジオパーク』新しいタブで開きます
『隠岐の文化財』 – 第1号(島根教育委員会/2015年)
『いにしえの島根ガイドブック』(隠岐島前・島後教育委員会/1996年)
『隠岐島前・島後神社MAP』(隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進協議会/2017年)