特集

  • 文化・祭り

隠岐諸島の集落を守るわら蛇。「荒神様」を探しに飯美地区へ

    • 隠岐の島町
隠岐諸島の集落を守るわら蛇。「荒神様」を探しに飯美地区へ

隠岐の島に今も残る荒神(こうじん)信仰。今回は飯美(いいび)の荒神、顔が特徴のわら蛇にフォーカスを当ててお伝えします。

取材・たきB.A
ヒールを脱ぎ捨て、東京のオフィス街を抜け出し、まさかの島暮らし。「都会ではできないことを、隠岐の島町だからできることを!」をモットーに、やぎとにわとりと暮らし、「ちょっくらOKI」を立ち上げました。

みなさんがお住まいの地区に荒神さんはありますか?
荒神さんは民間信仰の神「荒神」を祀る行いで、わら蛇を御神木に巻き付ける祭り全体を指します。隠岐の島では目にすることが多いようです。
西日本でよく見られるそうですが、関東出身の私には馴染みがない行事でした。

そこで!興味津々。私と一緒に荒神さんを見てみましょう。

荒神信仰について

荒神信仰は、家庭の台所など屋内で火を使う場所に祀られる「三宝荒神」と屋外に祀られて屋敷や同族、地域の守護神として機能する「地荒神」に大別されるそうです(諸説あります)。

山陰地方では「地荒神」が多いとされています。
隠岐島では個人の屋敷神の場合同様、集落共同の守護神を「荒神」と呼び、ここでは御神木を指します。神霊が降りるとされる依代(よりしろ)、御神木を神聖な場所として綱を巻き、幣(ぬさ)を立てるのでしょう。

祭りでは地区民総出でわら蛇をつくってあげるしきたりになっていました。

荒神は猛々しく霊験のあらたかな神として、また荒々しく人にわざわいを及ぼす神ともされています。古事記には「荒ぶる神」と書かれていることから、荒魂(あらみたま)を鎮める儀式や祭りが執り行われたようです。

隠岐の島ではその儀式や祭りを「荒神さん」とさん付けで呼ぶことから、親しみを感じます。御神木である荒神にわら蛇を巻きつけることから蛇巻とも言われます。藁で編んだ姿が蛇のようだったり、蛇が木に巻きつく姿に見えるからでしょう。隠岐の島町のある島後(どうご)はもちろん、島前(どうぜん)でも見られます。

隠岐の島町・西田地区の御神木に巻きつくわら蛇


飯美について

西郷港から車で約30分。
隠岐の島町布施エリア飯美(いいび)地区は、隠岐に配流された後醍醐天皇が民家に立ち寄った際、召し上がったご飯がとても美味しかったので、この地を「飯美」とするようにと仰ったことから名づけられたと言われています。

飯美地区の中心地・バス停付近


白鬚(しらひげ)神社について

飯美の荒神は白鬚神社境内で見られます。
神社の創建は1595年(安土桃山時代)より前とも1629年(江戸時代)ともされています。主祭神はサルタヒコノミコトであることから、本殿に飾られている面は猿田彦を現しているのでしょうか…。


飯美の荒神さんについて

隠岐の島町・飯美地区の区長、山根さんとそのお父様にお話をお聞きしました。

お話ししてくださった山根さんのお父様。

飯美の荒神さんについて詳しい方がいなくなり、いつから行われたのかは不明とのこと。祭りの日は12月18日と決まっており、戦時中も行われていたそうです。近年は勤め人が増えたため、祭りの日が平日の場合は18日より前の土曜日または日曜日に行います。2021年は12月12日(日)に行われます。

布施村誌には、1193年(鎌倉時代)に「荒神の信仰あり」と記載されています。この時期が荒神さんの起源とは言えませんが、昔から続いているものだと思うと感慨深いです。

飯美地区に田んぼはないので、荒神さんを作るために使う軽トラック2台分の藁は中村、卯敷(うづき)地区から調達するそうです。昔は各家が持ち寄っていたとのことですが、現在は区で手配しています。元屋地区の方にもお願いしていたのですが、ご高齢になり田んぼをやめてしまわれたとのこと。

布施村誌によれば、1595年(安土桃山時代)に飯美に新田が拓かれたとあります。その後も、何度か新田開発が行われていることから、昔は飯美地区で藁を調達できていたのかもしれません。

当日は朝8時から8時半に地区の住民が神社下の広場に集まり、作業を開始します。
以前は50人程が参加していましたが、現在は約30人で行われます。
胴、頭、角、まぶた、口、鼻、耳など、それぞれがやりたい持ち場につき、作業を行います。(以下の写真は全て2018年に撮影されたものです)

わらを叩く作業。


角を編んでいきます。


胴を作っていきます。


拡大するとこんな感じです。


鼻と口が仕上がってきました。

頭は難しいので、若い子(…と言っても40代後半!)に受け継いでもらえるよう作り方を教えています。それ以外の部分は見て覚えるそうです。

目をつけていきます。


角がついて頭らしくなりました。


できあがったわら蛇は海岸に運びます。わら蛇は男性が持つ習わしです。行きも帰りも、担いで歩く時は掛け声をかけます。先頭は年配の方が持ち「ヨイヨイ」、若い人は後ろで「ジャンジャン」と繰り返し、歩を進めます。掛け声の由来はわからないそうです。

「ヨイヨイ」「ジャンジャン」と連れていきます。


海岸に着いたら清めのため、わら蛇の口に海藻をくわえさせ、頭にも海藻を載せます。

海岸でお清めです。

その後、わら蛇を神社に連れていき、境内左手にある欅の木に7回り半巻きつけます。

境内の御神木に巻きつけられたわら蛇。

わら蛇を荒神に巻きつけると、榊を供え、御神酒を振る舞い、五穀豊穣、災害の最小化、船の安全航海を祈願します。祭壇や供物、直会(なおらい)はありません。昼前には終わります。

取材時に巻かれていたわら蛇。作り手により、顔の表情は年によって異なります。


先ほどの山根さん親子に飯美地区について聞くと、昔は千石船を持つ家が4〜5件あり、石川県敦賀湾に海産物や木材を運んでいたことから村は裕福で、水道料は無料、税金も安かったとのこと。

当時50件ほどあった家は今ではその半数程度となり、将来、地区を維持していけるのか不安だといいます。

飯美に生まれ育ったおふたりには当たり前すぎる環境で、地区の良さを見出すことは難しいようです。この地区に移り住んだIターンの方々が行事に参加してくれることから「島外から来られる方のほうが地区の魅力を見出すことが上手いのかもしれません。地域住民の方々とコミュニケーションを図れる人が来てくれたら嬉しいです」と話されていました。

わら蛇さんを眺めた後、飯美地区をぶらり散歩。かわいらしいバス停、畑で作業をする人、狭い路地、船小屋のある港風景を眺めながら、荒神が昔も今もこの地区を見守ってくれていると感じます。

今年のわら蛇の顔はどんなでしょう。ぜひ、行ってみてください。

参考資料/
荒神 – コトバンク
『隠岐の文化財』第31号(隠岐の島町教育委員会・海士町教育委員会・西ノ島町教育委員会・知夫村教育委員会/2014)
『隠岐の文化財』第33号(隠岐の島町教育委員会・海士町教育委員会・西ノ島町教育委員会・知夫村教育委員会/2016)
『隠岐の文化財』第36号(隠岐の島町教育委員会/2019)
『山陰民俗叢書 5』葬・墓・祖霊信仰(山陰民俗学会 編集/島根日日新聞社/1997)
『32 日本の民族』(石塚尊俊 著/1973)
『山陰民俗一口辞典』(石塚尊俊 著/2000)
『布施村誌』(布施村誌編さん委員会 編集/布施村誌編さん委員会/1986)
隠岐島前・島後神社Map

聞き取り調査/
飯美区長山根さんとお父様
隠岐の島町教育委員会